【体験談】受験期と鬱、パニック障害、強迫性障害

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こんにちは。

今日は高校3年生の時の闘病生活について書きたいと思います。

順調な高校生活

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中学時代、勉強が得意だった私は公立の進学校へ通います。部活動もやっていたし、友達にも恵まれ何不自由なく過ごしていました

しかし中学時代は塾に通えば特に努力する事もなくできていた勉強ですが、高校に入り何の努力もせず勉強の仕方もわからず、成績はなにも取れませんでした。

市のトップ校で入学時10番目の結果を出した私ですが、成績はいつも下から数えて2,3番くらいでした。

ですが成績や勉強にはそれほど興味が無かったので、笑って過ごしていました。

小さい頃から動物が大好きで、獣医さんになりたかったので、理系の道に進みました。

部活を終え夏休みに

3年間の運動部を卒業し、3年生から通っていた予備校の夏期講習が始まりました。

ですが勉強にそもそも興味がない、獣医さんにはなりたいけど今この勉強をする必要性がわからない、だったら家でゴロゴロゲームがしていたい、だいたい勉強できない自分が受け入れられない、とうだうだして夏期講習には半分も出席しませんでした

睡眠リズムは狂い、夜中まで起きて単語帳を開いたり辞めたり、ゲームをして過ごしていました。

そうこうするうちに、なぜ自分は周りが頑張っているのに怠けているんだろう、なんで当たり前に努力ができないんだろう、親に払ってもらったのになぜ夏期講習を無駄にしたんだろう、と反省が止まらなくなりました

夜は寝れない、考えも止まらない、でも努力や勉強はできない。

そうこうしているうちに寝れないからと行ったかかりつけの病院で鬱と言われます

心療内科へ

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かかりつけの病院から、精神的な病気は専門医に診てもらってと言われ、隣町の病院に行きました。

心療内科専門の病院でした。

昔からしっかりもので明るくて気の強い私がなぜこんなところに、大体周りの人たち本当に調子悪そうだし、私はなんでこんなところに、と繰り返し思っていたのを覚えています。

すごい待つ病院だったので、待ち時間は憂鬱でした。

周りには発狂している人もいて怖かったし、一緒にしてほしくないと思っていました。

やっと診察の時間になり、東大卒の先生が診てくれました。

今ならどこ出とかなにも興味ないのですが、当時は「東大すげー絶対治してくれる!」と思っていました。浅いですね。

ながーい問診が終わり、私は”パニック障害”、”強迫性障害”、”鬱”と診断されました。

そこで色々な薬を処方されまた2週間後、また2週間後と通院を始めました。

服用中の生活

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通院を始めたのが9月。もちろん高校に通っていましたが、毎日遅刻していました。

先生には鬱らしいと報告をしていたので、心療内科で3つの病気と診断されたことも改めて報告をしました。

体育祭の準備や夜の練習があり、その頃はまったくもって狂人と化していたので、なぜか涙も止まらず参加して、親友に泣きついていたのを覚えています。

頼れる友人たち

私が鬱だと言われる少し前の夏休み、私は部活のOBと仲良くなりました。

その男性は裁判官になるため司法試験の勉強をしていて、図書館で一緒に勉強をしたりして仲良くなりましたが、とても面倒見のいい方でとてもお世話になっていました

いつも話を聞いてくれて、私の深夜の電話に付き合ってくれ、不安定になると必ず側にいてくれました。

また、親友もいつでも側にいてくれました

当時、保健室に登校すれば出席扱いにしてくれるという担任の心遣いがあり、親友はいつも保健室に迎えに来てくれて、一緒にお昼を食べて少し勉強をして帰るという生活をしていました。

私は薬漬けだったので親友の勉強中はどこでも寝てました。

そんな私にもなんの文句も言わず一緒にいてくれました。

新しく通い始めた予備校の塾長もとても優しい方でした。

お休みの日でも私が不安定になれば会いに来て話を聞いてくれました。

受験期

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受験が近付くにつれて私の病気はどんどん悪化します

薬の副作用で気持ち悪くなり、毎日なにも食べれず飲み物のみ、体重は15kgくらい落ち、元々痩せていた私は足が腕くらい細くなりました。

また色々と奔放になり、夜中遊びに出かけたり、知らない男性と飲みにいって危ない目にあったり。

その頃は人混みが怖くて電車に乗れなくなっていましたが、表参道にハマっていて、一人で電車に乗っては過呼吸になり、でも表参道を散歩して買い物をして帰ってくる、を繰り返していました。

獣医を諦める

勉強中急に私血が苦手かも、命預かれないかも、とひらめきます。

また、勉強を始めるのが遅い、元々努力の仕方がわからない、闘病でそれどころじゃない、ということで獣医を諦めなければならないときが来ました。

前述した裁判官を目指しているOBが法学部を出ていて、そんなきっかけで私も法学部を目指すことになりました。

バリバリの理系から急な文転です。

12月に文転して受験間に合うか、いや間に合わないけどとりあえず受けようとのことで勉強は続けました。

その頃の生活

パキシルという薬が本当に合わず、強すぎて狂人状態でした。

パキシルについてはまた改めて書きます。

朝方寝て夜起きる生活でしたが、保健室に登校しなくてはならないので、母に朝保健室に送ってもらって、親友と過ごし、帰ってOBと勉強したり話したり、また朝まで泣いたりして過ごしていました。

とにかく死にたくて、一人でいると涙は止まらないし、周りにたくさん迷惑をかけているのは理解してるし、なんで生きているんだろうとずっと考えていました。

度重なる自殺未遂

12月から3月はピークでした。

母と喧嘩して薬を100錠以上飲み病院に運ばれ胃洗浄をしたり、リストカットは日常茶飯事、大きな橋から飛び降りようとしている所を止められたり、と通常の判断ができなくなり、迷惑をかけるくらいなら死にたいと毎日思っていました。

入院もしましたが、OBと親友、塾長の3人は必ず面会に来てくれました。

OBは司法試験の勉強そっちのけ、親友は数時間後に受験というときでも、病院にかけつけてくれました。

OBは他のOBも連れてきてくれたので、どんどん親交が深まります。

またそのかけがえのない3人も仲良くなりました

受験の結果

そんなこんなで受験は全部不合格でした。

勉強どころでなく、まともに勉強をしてない状態で甘く見ていましたし、プライドが高いので目標を高くしすぎました。受験をなめてましたね。

また来年受けると決め、受験期は終わります。

高校卒業

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担任の計らいもあり、無事卒業することができました

支えてくれた3人には本当に感謝しています。

また、受験から離れたことにより、病気もだんだん落ち着いてきました。

4月からスタバでアルバイトも控え、新生活への期待があったので、自殺願望も薄れていきました。

ただどこかで、こうやって周りに迷惑をかけながら生きる事に意味はあるのだろうかと考える事はやめられず、リストカットは止められない状態でした。

今後の生活でなにも達成できなくなる私ですが、高校を卒業できたのは本当に周りの支えがあったからです。

本当に感謝しています。

まとめ

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受験のストレスで私は病気になりました。高校生にとって受験というのは本当に大きな試練だったなと思います。

この闘病生活は本当に苦しく大変で、私だけでなく周りに本当に迷惑をかけてしまいました。

母はこの経験で鬱になりました。

また、私にとってこの闘病生活は新たな発見だらけでした。

しっかり者でなんでもできる私は、実際なにも一人でできず、なんでもなんてできず、周りの支えがなくては生きることすらできないことがよくわかりました。

私は夜寝れないという形でしたが、少しでも異変があれば病院に行きましょう。

無理をして大事に至る前に、気付くことが本当に大事だと思います。

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